手越祐也さんといえば、明るくチャラいイメージが先行しがちですが、実はかなりの家族想いとして知られています。

この記事では、手越さんの父親がどんな人物だったのか、どんな親子関係だったのかをまとめます。
手越祐也の父親はどんな人?プロフィールと仕事
手越さんの父親については、バラエティ番組やインタビューで断片的に語られてきた情報が複数あります。職業・学歴・人柄と、順番に見ていきましょう。
立教大学野球部のエース投手だった
手越さんの父親は、立教大学野球部のエース投手だったことをバラエティ番組で本人が語っています。立教大学はプロ野球選手も多数輩出している名門校で、エース投手を務めたということはかなりの実力者だったと考えられます。
手越さん自身も4歳からサッカーを始め、中学時代はJリーガーを本気で目指すほどの実力を持っていました。父親のアスリート気質をしっかり受け継いでいたようですね。
職業はタクシー運転手
父親の職業はタクシー運転手だったとされています。
これはファンによるちょっとしたエピソードから広まりました。滝沢演舞場に急いで向かうためタクシーに乗ったファンに、運転手が「息子がジャニーズでね、NEWSって知ってる?」と話しかけてきたというもの。どうやらその運転手が手越さんの父親だったようで、ファンの間で語り草になっています。
気さくに自分の息子の話をするあたり、息子のことが本当に誇りだったんでしょうね。
両親は手越さんが中学生の頃に離婚
手越さんの両親は、手越さんが中学校に通っていた時期に離婚しています。その後は母子家庭で育ちましたが、父親との関係は良好のまま続いていたようです。
離婚後も父親はNEWSのファンとして活動を追い続けており、息子の仕事をずっと応援していました。
父親は2015年1月に突然他界
離婚後も息子の活動を応援し続けていた父親でしたが、2015年に突然の別れが訪れます。その経緯と、手越さんがどう向き合ったかをまとめます。
仕事中に訃報を受けた
2015年1月、父親は突然倒れ、翌日に亡くなりました。持病があったわけではなく、本当に予期しない出来事だったとのこと。当時の手越さんは27歳でした。
訃報を受けたのは、ちょうどNEWSのシングル「KAGUYA」のプロモーション活動で地方にいたとき。プロとして仕事とファンを優先した手越さんは、父親の最期に立ち会うことができませんでした。
父親の葬儀では手越さんが喪主を務め、NEWSの楽曲を編集して流したそうです。
「さくらガール」が父との特別な曲になった
葬儀のとき、祖母(父方のおばあちゃん)から手越さんに伝えられた言葉があります。「お父さんがいつもこの曲を歌っていたよ」——その曲が、NEWSの「さくらガール」でした。
「さくらガール」は2010年3月に発売されたNEWSの楽曲で、失恋を歌ったバラードです。父親がずっと口ずさんでいたと知った手越さんにとって、この曲の意味は大きく変わったはずです。
東京ドームで天に向かって歌ったライブ
2015年6月、NEWSの東京ドームライブ。そのファイナル公演には、本来であれば父親が来る予定でした。チケットも用意されていたと言われています。
でも父親はもうそこにいない。手越さんはそのライブで「さくらガール」を歌いながら、ずっと天井を見上げていたそうです。
本人は後の『Myojo』のインタビューでこう語っています。

あの日の『さくらガール』は、俺はずっと天に向かって歌って。あのときだけは、ファンのみんなじゃなくて、天国に向けて歌わせてもらったんだよね。歌い終わって天を指さして言ったんだ。親父、届いた?って
普段は明るく飄々としている手越さんですが、この話を読むとまた違う一面が見えてきます。
手越祐也の家族構成まとめ
ここで改めて、手越さんの家族構成を一覧でまとめておきます。
| 家族 | 詳細 |
|---|---|
| 父親 | 立教大学野球部エース→タクシー運転手。2015年1月に他界 |
| 母親 | 手越さんと30歳差。離婚後も母子で生活。美人として有名 |
| 祖母 | 父方・母方ともに広島県出身 |
| 兄弟 | なし(一人っ子) |
母親への親孝行エピソード
父親を若くして亡くした手越さんは、その分母親への思いが人一倍強いようです。独立後に実際に行動に移した親孝行のエピソードをいくつか紹介します。
父親を早くに亡くした分、母親への親孝行は有名なエピソードがいくつもあります。
独立後に収入が増えてから、手越さんは母親に高級車と1億円以上の豪邸をプレゼントしたと言われています。「母子家庭で育ててもらった分、絶対に恩返しをしたい」という気持ちが伝わってくるエピソードです。
チャラいイメージとのギャップが大きいですが、家族への思いは本物なんでしょうね。
まとめ
手越祐也さんの父親は、立教大学野球部のエース投手という経歴を持ち、仕事はタクシー運転手として働いていました。2015年1月に突然他界し、当時27歳だった手越さんは最期に立ち会うことができませんでした。
父親が愛していた「さくらガール」を東京ドームで天に向かって歌ったエピソードは、手越さんの人間的な深さを感じさせます。明るく自由奔放な裏側に、こういう一面があることを知ると、また違う見方ができますよね。
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