令和の米騒動で騒がれてるけど、平成の米騒動ってなんだったの?
1993年に起きた平成の米騒動をまとめてみました!
異常気象による凶作と米不足
平成5年(1993年)の夏、日本は異常気象に襲われました。
梅雨が例年より遅れて明けたものの、長雨が続き、日照時間が大幅に減少し、8月には台風が関東地方を直撃し、農作物が大きな被害を受けました。
多くの地域で稲が実らず、収穫できない場所もあり、米不足が深刻化しました。
100年に1度ともいわれるほどの大凶作と言われています!
米泥棒と米価の急騰、闇米の発生
米の供給が不足したため、米の価格が急騰し、生活に大きな影響を与えました。
米不足の深刻化に伴い、米を狙う米泥棒も多発し、農家は夜間に見回りを強化するなど対策を講じました。
また、米が品薄となったため、米の買い占めや「闇米」の取引が全国で横行しました。
政府による緊急米輸入
米の深刻な不足に対応するため、平成5年9月30日に政府は米の緊急輸入を決定しました。
タイやアメリカなどから合計200万トンの米が輸入され、国内消費量の約20%をカバーする形となりました。
しかし、輸入米(特にタイ米)は日本の消費者に馴染みが薄く、食文化の違いから多くの消費者は外国産米を敬遠、結果として輸入米が売れ残る一方で、国産米への需要は高まり続けました。
翌年の平成6年は豊作となり米が余った
翌年の平成6年(1994年)は、前年と打って変わって好天に恵まれ、全国的に米が豊作となりました。
この豊作により、米が大量に市場に出回り、供給過多となりました。
米価は下落し、スーパーマーケットなどでは米の安売り合戦が繰り広げられ、前年の米不足とは対照的な状況になりました。
さらに、前年に暗躍していた闇米業者も、この豊作によって活動を停止しました。
コメ騒動の社会的影響
平成のコメ騒動は、単なる食料不足にとどまらず、社会全体に大きな影響を与えました。
- 消費者の米に対する意識が変化し、米の大量の買いだめや、外国産米への拒否反応が起きた
- 消費者の米離れを加速させ、米の消費量が減少する傾向に拍車をかけた
- 農業政策や流通にも影響を及ぼし、米の需給バランスを見直す契機となった
この騒動は、単なる自然災害による不作だけでなく、政府の対応や市場の動き、消費者心理など、多くの要因が複雑に絡み合った現象でした。
日本人は外国のお米は受け付けなかったなんですね・・・
最後に
平成と令和の米騒動の違いをまとめてみました。
- 品薄の原因
→平成は天候による不作、令和は地震による備え+新米との切り替わるタイミング - トラブル
→平成は米泥棒など大胆な犯行、令和は転売という犯罪ギリギリの行為
どっちにしろ米不足は災害から来るものなんですね。
お米は素人が簡単に保存できるものではありませんので、大量買いをして、備えたとしても無駄なんです。
品薄にはなりますが、実際米不足になることはありませんので、慌てないように心がけるのが重要です!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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